弔いはやっぱりタイミング。青木のお坊ちゃん。


by specialmixjuice

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太った女の人たちに「マシュマロ女子」という頭の弱そうな名前がつけられて以来
デブの世界はさらに殺伐としてきた。

元々自分のことを「ぽっちゃり」と呼ぶデブに対してもその風当りは強かった。
しかしマシュマロというスイーツ感たっぷりの語感がそれに融合し、ついに世の男たちの
イライラが爆発してしまったのだ。
今、以前にも増して太った女の方を執拗異常に叩く声をよく見かける。


自分的にはどうでもええやんという感じだったのだが
この流れはまた別の「良くない流れ」を生み出していることに気づいてきた。





「最近マシュマロという言葉にかまけてデブが進出している
私は昔から太ってるから、そういう甘えたクソ女を増やさないでほしいと切実に思う
どっちかって言えばデブと呼んでほしい」
「てか何がマシュマロだよ お前らデブだろ?」


などの主張をするデブの女たちが出始めてきているのだ。
(上の発言はツイッターで見かけました)


いわゆる「私はお前らとは違う系流派」がデブ女界にも表れてきたのだ。
「私はお前らとは違」系流派」とは同族嫌悪由来のひねくれものたちだ。

例えばオタクがメディアにもてはやされた時にも
「あんな生ぬるいオタクはオタクじゃねえ。俺たちみたいな本当に気持ち悪い奴らが真のオタクだ」
などと真性キモキモ系過激派たちが出現した。

ロリコンが増えてくると
「ファッションロリコンの野郎どもめ、俺たち真のロリコンこそが本物の犯罪者予備軍だ」
という「俺たちはファッションロリコンとは違うぜ軍団」が出現する。

これらの
「私はお前らとは違う系流派」には共通の特徴がある。
自分達の欠点を開き直って主張し、それを自分たちのアイデンティティとし
自分達より欠点の度合いが少ない人たちを執拗に非難するのだ。


今回のマシュマロ女子の話でも

マシュマロ女子ブームに乗っかっちゃうデブ女



そんな女とは違う『私達は自分をちゃんと自覚できてるデブですよ』アピールをするデブ女

の対立構造が見て取れる。
この後者の人たちが僕はどうも手放しに肯定できないんですよね。
彼女たちのこの発言は
攻撃的に見えて実は、非常に保守的というか守り・保険をかけてると思うんですよね。
実は
「私は自分のことデブだって分かってますから、自称「マシュマロ」「ぽっちゃり」の女とは違う
 ので私のことは叩かないでください」アピールだと思うんですね。
これ凄くひねくれまくってて要は
自虐風攻撃的ガードになってるんですよね。

僕はこの何重ものギミックがどうも卑怯に思えるんですよね。
この例で言えば
「自称マシュマロ女子」を攻撃してるのは
結果的に自分を守るための行為なんですよ。

これネットでは非常に多いんですよ。
「私はこんなやつとは違いますよ!(だから叩かないで!)」つって
同じデブ女なのに同族をいけにえに差し出してガードしてるんですよね。

そうすると、卑怯だし臆病だし根性ひん曲がってるな~とか思ってしまって。
彼女にとって敵はマシュマロ女子では無く
マシュマロ女子を叩いてる男たちのはずなんですよ。

なのに自らをデブと自虐してマシュマロ女子を攻撃することによって
「マシュマロ女子を叩いてる男たち」相手にポイントを稼ごうとしてるわけ。
この裏切りというか寝返りというか、
こういう発言をする人を僕は信用したくないなーと思ってしまいます。

だからやっぱり同族同士でいがみ合っててもあんまりいいことねえぞってことですよね。
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by specialmixjuice | 2014-01-30 02:22

My Sparkling Days...

しばらく人と会ったり喋ったりしてなかった期間を経た後の方が、人と流暢に喋れるような気がする。
溜まってたものを吐き出すように言葉がスラスラと出てくる。
軽快なトークをぶち込むことができる。





部屋が順調に汚くなってきている。





俺は音楽なんて作りたかねえんだよ。
マンガを描きたい。



絵を描けない人達の永遠の夢。
頭に思い描いた絵が自動的に絵になってくれる自動漫画描きマシーン。
楽器が出来ない人たちの永遠の夢。
頭に思い描いた音楽が自動的に曲になってくれる自動作曲マシーン。

もし、今、目の前に神様があらわれて
「ねぇねぇ、これのどっちかあげりゅ…」
と言われたら僕は漫画マシーンを選ぶだろう。


僕の音楽は低俗で、固まったウンコとウンコをこすり合わせて鳴らしているような糞MUSICなんだけど
その反面、僕の漫画は高度すぎて一般の人たちはなかなか理解できない。
僕は自分のマンガを読んでくれた人に対して
「面白かったですか?」もしくは「面白いでしょう?」
と恥ずかしげも無く聞いて回ってることにしている。

大抵の人は
「面白かった^^;」
と言ってくれるが、それもどこまで本気で言ってるのかは眉唾ものだ。
っていうかたぶん、分かってない。
「面白かった(感激大爆笑)」ではなく「面白かった(苦笑)」もしくは「面白かった(苦症)」だろう。
苦症というのは文字通り「苦しい症状」という意味でもはや笑ってすらいないが
特に意味は無いのであまり突っ込まないでもらいたい。
僕のマンガを読んで気分が悪くなったということだ。

要は、僕はほとんどの人が理解できない次元の笑いを提供していることを理解しながらにして
敢えてその手を緩めることなく「極限の面白さ」の追求を行っているのである。
もしこの世に「世界一高度な笑いが分かる男」が居るとしたら
当然僕のマンガは「世界一高度な笑いの観点で極限に面白い漫画」なので
その男は笑い死にしてしまうだろう。
かろうじて生き延びたとしても、僕に対する劣等感に苛まれて自殺するのは目に見えて明らかだ。








僕がこんなかわいそうなことになっているのは小学生の時からである。
こんな「強がりプリンセス」になっちゃった元凶は幼少期にあったのだ。
小学生の時から僕はギャグマンガを描いていた。
しかし、当時そのギャグマンガは誰にもウケることは無かった。
小学校4年生の時には他校に赴任することになった担任の先生(30代男)のために4コマギャグを描いてプレゼントしたのだが
その内容があまりにもイカれすぎて、担任から母親に後日
「龍一郎君が何か悩んでることとか、心に闇を抱えてるのであれば、私がいつでも遊びとか連れて行くので…」
と電話がかかってきたことがあった。(実話)

その時からだ。
僕は
「自分のマンガがウケないのは他のやつのレベルが低いだけだ。高度な笑いについてこれてないのだ」
と思い込むようになっていった。

厄介なのが、その時は本当にそうだったことである。
今読み返してみると、何故小学生の時の僕のマンガが周りのウケが悪かったのかはすぐに分かる。
本当に小学生にしてはレベルの高い笑いをしすぎていたのだ。
シュールすぎた。
コロコロコミックを愛読している子供たちにはまだ理解できない「スカしの笑い」の概念や「一周回ったベタ」の概念、「不条理の笑い」「メタ的な笑い」をふんだんに取り入れていたのである。

それから僕は漫画を描くのをやめた。

そしてそれから8年後、20歳頃からまた漫画を描き始めることになった。
その8年間で様々な表現活動を行った僕が長い眠りを経て再び描き始めた漫画。
かつて小学生の中では先端を行き過ぎていた「理解されなかった神童」は
20歳になった今…どんな漫画を描いたのか…それは…






ちんちんとうんことおしっこばっかり出てきて、
あと、異様に人が死にまくる90%下ネタマンガだった…。


そう、僕はこの8年間の間でみんなに追いつかれ、そして追い抜かれていったのだ…。
僕は小学生の時の自分を軽く下回る感性の段階へと退化…そしてそのギャグセンスは腐り死に、
ただただ異臭を発する下品な汚物へと成り果てていたのである。

そんなうんこをケツからビチョビチョと垂れ流しながら
人々に
「俺のうんこ面白いでしょ?」
と聞いて回りさらには
「俺のうんこのレベルは究極だ」
と喚き散らすキチガイ下ネタマンガおじさんになっていたのである…。




女の子に「君の夢は何?」って聞いて
答えようとした瞬間にキスをして耳元で
「君の夢ってこれでしょ?」ってささやいてみちゃおうかな?

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by specialmixjuice | 2014-01-18 03:09